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今回は滋賀県「草津市」をバクバクが滋賀ゆかりの甲賀忍者になってレポートします!

草津宿本陣・・・

本来は戦の際の総大将の本営を指す「本陣」は、室町時代の足利将軍上洛時にその旅宿を「本陣」と評し宿札を掲げたことに始まって、江戸時代には街道を往来する大名や公家など貴人の休泊施設を指すようになったんだって。草津宿本陣は、当主の田中七左衛門さんが1635年に本陣職を拝命し1870年に廃止されるまで、田中家が代々本陣職を勤めてきたよ。全国に残る本陣の中でも最大規模を誇り、江戸時代の旧姿をよくとどめているとして国の史跡にも指定されているんだ。

草津追分道標・・・

東海道五十三次の52番目の宿場町草津には、東海道と中山道を往来する旅人の道しるべ(道標)が数多く残っているよ。中でも草津追分道標は、東海道と中山道との分岐点に立ち、京都・大阪・尾張・美濃などの定飛脚問屋や、播州・備前・江戸の日雇方など、この街道を常に往来する人々の寄進によって建てられたと伝えられているんだ。「右東海道いせみち」「左中仙道美のぢ」と刻まれた道標は約4メートルの高さがあり、往時の面影をとどめているね。

草津大路井(おちのい)道標・・・

新東海道と中山道の分岐点を示す道標だよ。明治19年(1886)にアーチ式煉瓦両側石積で造られた旧草津川隧道が完成すると、江戸時代260年余り続いた近世の東海道も一新されて、現在の県道下笠大路井線の位置に新しい東海道が開通したんだ。これにより、従来旧草津川南側にあった分岐点は、当時、中山道に面していた覚善寺南西角に移って、この大路井道標が建てられたんだって。現在は覚善寺門前に移築されているよ。

道灌蔵(どうかんぐら)・・・

趣のある佇まいを見せる道灌蔵は室町時代に江戸城を築城したことで有名な太田道灌を祖とする造り酒屋だよ。道灌から六代目の時に幕府直々の内命を受け近江草津に移住してきたんだって。草津宿は東海道五十三次の宿場の中でも屈指の大宿で水陸交通の要所だったため、太田家は海道の動静を見守る関守を務め草津行政の中心となっていたんだ。お酒造りを始めたのは江戸時代の末期廃藩後で、年貢米である良質の近江米をもとに酒造りを始めたそうだよ。2階の資料館を見学することもできるんだって。

立木神社・・・

旧東海道に面して鎮座しする平成29年で創建1250年を迎えた滋賀県隋一の古社だよ。称徳天皇の時代に、常陸国(茨城県)の鹿島神宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗って旅をしている途中にこの地に立ち寄り、持っていた柿の鞭を刺したところから柿の木が生えたんだって。だから境内にはたくさんの鹿の像があるんだね。里人はこの木を崇めて神殿を建て、社名を立木神社と称したのが始まりと伝わっているよ。交通安全、厄除開運の守護神として崇敬を集め、東海道に面し草津宿に近かったこともあって、江戸時代には参勤交代の諸大名が参拝した由諸ある神社として親しまれてきたそうだよ。


〜ご当地のオススメ〜
 うばがもち・・・

草津市の名物といえば『うばがもち』。地元草津のもち米で作った餅を甘さを控えたこし餡で包み、白あんと山芋の練り切りがのっています。機会があればぜひご賞味ください。

保険代理店
株式会社インシュアランスブレーン
代表取締役社長 菅生 正さま

滋賀県草津市

県庁所在地の大津市に次ぎ、県内2番目の人口を擁する都市。江戸時代には東海道と中山道が接する宿場町(草津宿)として栄え、現代でもJR東海道線、国道1号線、名神・新名神の両高速道路など日本を東西に結ぶ交通網を有し交通の要衝となっているよ。同地名の温泉地で有名な群馬県の草津町とは友好都市提携を結んでいるんだ。

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